EPISODESOH 20th Anniversary

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EPISODESOH 20th Anniversary

EPISODE.1 vol.1

変わることに勇気を持ち、
1000年先につながる文化を作る

音楽プロデューサー 松浦晃久

EPISODEの記念すべき第1回目のゲストにお迎えしたのは、音楽プロデューサーの松浦晃久さん。
2回にわたり人生と音楽との関わり、ライフワークとなっているにいがた総おどりとの20年の歩み、伝統芸術のこれからなど多角的な切り口から、長年音楽業界の第一線で活躍し続けている敏腕プロデューサーの文化論に迫ります。

世代や時代が変わっても、心に宿る“ドキドキ”は普遍

新潟市古町エリアにある「Blue cafe」を会場にこのインタビューを行っていますが、松浦さんはこの場所がカフェになる前からご存知なんですよね。

松浦昔、ここはにいがた総おどり祭り立ち上げの時に事務所だった場所なんです。当時は雪崩が起きそうなくらい、荷物がいっぱいありました(笑)。

そんな思い出深い場所からお届けするインタビューですが、最初に松浦さんのご職業やライフスタイルについて教えてください。

松浦音楽家として、普段はJ-POP、例えば徳永英明さんや平井堅さん、絢香さん、miwaさん、秦基博さんといったアーティストの曲やサウンドトラックの制作、主に編曲やプロデュースが多いですが、作曲や楽器の演奏をすることもあります。最近だと柴田淳さん、リトルグリーモンスターさん、JUJUさんなど、色々な方とお仕事をしています。そして総おどりやよさこい関連の音楽も作っています。

長年音楽に携わられている松浦さん自身が感じている、音楽の魅力を教えてください。

松浦音楽はアルバムみたいなもので、昔聞いていた音楽を聞くと当時の気分や匂いや景色、一緒に遊んでいた人や仕事していた人、いろんなことやその時の感覚をふと思い出したりする。そういった経験が多くて、音楽と自分の人生が寄り添っていると感じています。こんなことを言うと死んじゃうみたいだけど(笑)、振り返るとそうやっていいときも悪い時も、音楽はいろんなことを豊かにしてくれたんだなと思います。
いろんな感情に、そして人生にいろんな音楽が寄り添ってきた、そういうところですかね。

音楽は仕事を超えて、人生に寄り添う存在なんですね。そんな松浦さんが音楽を作る上で、大切にしていることやこだわっていることはどんなことでしょうか?

松浦まず一番大切にしていることは、自分がその作品を愛せるか、楽しめるかというところです。常に自分が好きになれないものは世の中に出すものではない、ということを思って作っています。やれることとやりたいことが合致していると、やはり自分も興味を持って取り組めるし、そういうものの方が人に伝わるような気がするんですよね。
さらにもう一つ技術的なことで、録音でいうならば録音状態や演奏家の演奏力みたいなものが高い=いいものだとは、正直思っていないです。人の気持ちなどいろんなエネルギーが技術を超越することはあると思っているんです。ただ、長くその音楽を楽しんでもらったり、より正確に伝えたいという意味では、クオリティも同時に重要だと考えていて、そこはプロの矜持として、大事にしようと思っています。

プロデュースされるアーティストは幅広いので、制作はとても難しそうですね。

松浦例えば徳永英明さんとリトルグリーモンスターは方向性も音域も、男女の違いも年齢の違いもある。聞いてくださる方の年齢層も重なる部分はありつつも大きくは異なります。そして僕がリトルグリーモンスターの世代にはなれないわけです、もう年取っちゃったんだから(笑)。
ただそれはそれで、人を最初に好きと思って伝えたりドキドキする気持ちは、多分原始時代も平安時代も、今も未来もそんなに変わらないと思うんです。そういうところは世代を超えて共通するものではないでしょうか。その上で、時代の変化には合わせていけばいいわけで。作っているマインドは変わりませんね。

文化芸術は、優先順位が低い困難な時ほど精神を休める力になる。

たくさん音楽を作られてきた中で、自分の音楽が伝わったな、作ってよかったなと思った瞬間はどんな時でしたか?

松浦どんな作品も出す以上は等しくかわいくて、等しくみんなに味わってもらいたいと思って作ります。でも作品によって結果が伴うものと伴わないものが出てくることは、致し方ないこと。たくさん喜んでもらえたら嬉しいし報われると思いますが、じゃあそうではないものが報われなかったから残念とかというと、残念だと思うことはあっても、ただそういった事だけで僕自身が作品に対してジャッジできないという思いはありますね。だから今の質問は僕にとってすごく難しい質問で…家族が仲良くなったとか、死のうかと思っていたけどやめたと言うような素敵なエピソードも聞くことはあって、もちろん嬉しいし励みにはなるけど、「それそのもの」をエネルギーとしてやってはいないんです。期待して作るべきではないというか。

世に出した時点で、そこはリスナーに委ねるんですね。

松浦そうそう。自分が聞く立場になった時もそうだけど、あんまりターゲットや解釈を決められたくもないし、作る立場としては決めたくないです。もちろん思いを込めて作りますが、聞き手の感性を動かしたいと思うと同時に、どう動いて欲しいとかまでは思わないかな。

長い間音楽に携わられてきた中で音楽の力、文化の力をどのようなところに感じていらっしゃいますか?

松浦力というか希望ということで言うと、文化や芸術が平和の一つのバロメーターというか、指標みたいなものになってくれていたら、幸せなことかもしれないですね。今の新型ウイルス感染症をはじめ、世界中では戦争や飢饉などいろいろな困難があり、そういう緊急時に文化芸術は優先順位としては下位に属するものだと思うんです。ただ一方で、そういう時だからこそ一瞬でも精神的に追い込まれた状態を緩めることが人間の精神には必要なのかなとも思うんです。そしてそれを普段から喜んで肯定的に楽しめる状況が、きっと平和な世の中だと思うんですね。

同じようなことを続けているようで、全く違う景色を見てきた20年。

松浦さんは音楽の他にも、様々な形で文化に関わる活動に携わられていますが、立ち上げの頃から関わっているアート・ミックス・ジャパンやにいがた総おどりの価値はどのようなところに感じられていますか?

松浦にいがた総おどりは来年20周年を迎えます。時間が経つとはこういうことなんだなと思ったんですが、20年という時間は人が生まれて成人を迎えるくらいの時間であり、1回目の頃に小学生や中学生だった人はもう30歳とかになっているわけですよね。子供だった人たちがその後いろんな人生があって、就職したり結婚したりして子どもが生まれた人もいるし、環境が変わっている。ひょっとしたら残念ながら亡くなってしまった人もいるだろうし、新しく生まれる命もある。にいがた総おどりがあり続けることによって、いろんな人が入ってきて、通って、出て行ったり、戻ってきたりということがずっとなされてくる。すると同じようなことをやっているようだけど、全然違う景色が見られるんです。これは長くやっていないと見られないものだということは、やってみてわかったことであり、それはちょっと素敵かも。

具体的に松浦さんがにいがた総おどりとどういう関わり方をしているのか、教えてください。

松浦様々な関わり方の一つに、チームに曲を書かせていただいています。広い新潟県内のいろんな場所のいろんな年齢のいろんな人たちと繋がりができる事で、仕事だけではない人間関係が出来上がっていて、それはなんだか「親戚がいっぱいいていいな」みたいな..、ちょっと楽しい事ですね。 祭の当日より数日前から新潟入りして準備もするし、当日は太鼓を叩いたりもしています(笑)。

もともと新潟にゆかりはあったんですか?

松浦ほとんどありません。総おどり立ち上げの時にプロデューサーの能登君と出会ったのがきっかけです。

松浦さんにとってにいがた総おどりはどんな存在ですか?

松浦にいがた総おどりを経験した人で就職などをきっかけに新潟を離れた人が、お祭りの時だけ戻ってきてボランティアをやったり、踊りに参加してくれたり、何もしなくても総おどりだから帰ってきたという話が結構あるんですよ。お盆のお墓参りに帰ってくるみたいな。そういう話を聞くことが一番うれしくって。僕にとってももちろん半分はそういう場所だし、半分はそういう場所を作る手伝いをしているわけです。そうやって自分の一年にとって必ずあるものなんですね。

楽曲制作のお話もありましたが、演舞楽曲の制作手法を伺いたいです。

松浦20年も祭りを見ていると、踊り子の成長やチームの成長を感じているので、例えば依頼を受けたときに、「そうか、じゃあちょっとこんな気持ちになってみる?」とか「こんなところ行ってみる?」とか、そういう気持ちで作る時もありますね。響’連は、彼らが毎年中心になって一年かけてお祭りを準備してきてくれるので、やっぱりそれにそぐう、負けない、「おい、俺たちここにいるぞ」というようなものを作らなきゃいけないなと思っています。

1000年後の世界を思い、目の前の一年に力を注ぐ。

楽曲制作や人の変化を20年見続けていると、総おどり祭自体の変化は感じますか?

松浦多分ね、毎年違うんですよ。作っている側には、この筋は通したいという思いはしっかり一つありますが、それと同時に変化をいとわないということが、長くやっていく上で一番重要なんじゃないかとも思っているんです。なので、筋が通っていればどんどん変わっていっていい、というコンセプトがあるんです。新しい挑戦をしたり失敗をしたりしながら20年間動き続けている、それがいいんだと思います。つまり大事な何か、気持ちだけ残っていてくれていれば、我々の死後、どういう人が総おどりを続けてくれても続いていればOKなんです。

かなり先のことも見据えていらっしゃるんですね。

松浦これは能登君の目標でもあり、我々の目標でもあるんですが、1000年後、にいがた総おどり祭がまだ行われていたら、それは我々の一つの成功なんじゃないかと。もちろん目先の一年をしっかりできないと1000年続かないので目の前のことも大事ですが、一方で、本当にこれで1000年やれるのかということはいつもちゃんと頭に置いて作っています。

今いい、ではなく、その先も価値があるものか否か。

松浦そのためには、さっきの恋愛のドキドキと一緒で、生活が変わっても、ウイルス感染症があっても、人間が大事にしないといけないものは、変わらないでしょう。変わっていいものと変わるべきでないものとのその見極めは、するべきだと僕らは思っていて、その変わるべきではないものを持っていて、変わるということに対して勇気を持てれば、1000年続くはずだと思っているんです。そんなことばっかり考えているかな。

音楽プロデューサー・松浦晃久さんの
インタビュー記事 後編はこちら

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