EPISODESOH 20th Anniversary

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EPISODESOH 20th Anniversary

EPISODE.9

地位も国籍も感情も、
踊りは1度
ゼロにしてくれる

美容師/エスティティシャン
元・チーム21○メンバー
近藤希美

もともと大の人見知りだった近藤希美さんは、小学生の時に踊ることに出会い、人前で踊るようになり、年下の仲間をリードし、ついにはフランスで言葉が通じない中で現地の若者たちと作品作りをするなど、“心を開く”ことへの自信を育んでいきました。そして、それは踊りを引退した今も、美容の世界という人と接する仕事で活躍する原動力にもなっているようです。
思いのこもった擬音語の部分は、ぜひインタビュー動画でご確認ください。

踊りとの出会いを教えてください。

近藤踊りを初めて見たのが小学3年生の頃で、地元・五泉のお祭りで友達が踊っているのを見てすごい感動しました。わーってすごい!って。胸に響いたんですよね。シンプルに私も「やりたい」と思って始めました。それからよさこいは中学まで、また同じ頃始めたジャズダンスは高校まで続けました。

踊りの一体どんなところが魅力に映ったのでしょうか?

近藤私がその初めて見た時に感動して参加するようになった「チーム21○(にーいちまる)」の「レンジャー」というチームは、当時小学生5人ぐらいで、みんな赤とかピンクとか黄色とか、いろんな色の衣装を着ていて、すごいちっちゃい体なのに体をめいっぱい使って踊っていたんです。めいっぱい体を使って、めいっぱい大きい声で声を出して、すっっっっっごい楽しそうに踊っていたので、こんな風に自分を最大限に表現できてる同い年の子達に、“憧れ”が爆発したのかなと思います。

踊りを始めて、何か自分の中で変化を感じることはありましたか?

近藤もともと私はすごい人見知りでした。人と喋ったり目を合わせたりするのも苦手な中で、踊りはたくさんの人の前で動くわけじゃないですか。そんな状態から始めて、いろいろな曲を習ったり、ステージの上で踊るようになって、ちょっとずつ人見知りもよくなっていって、性格も変わっていってたんだろうなとは感じました。
よさこいもダンスも、こうなりたい!みたいなものはありませんでしたが、踊り続けるうちに、いつの間にか「のんちゃんらしいね」と言われるようになったんです。「あ、自分というものがここにあるんだ」と自覚した時に、すごく嬉しい思いが湧き上がって。基本的には自分に自信はないタイプですが、そういう時はちょっと自分の自信の貯金ができたと思うことはありました。

子供たちだけでやりたいことを実現していった「レインボーチルドレンプロジェクト」

チームやスタジオでのダンス活動に加えて、新潟総踊り祭実行委員会とも関わりが深い、次世代を担う子供たちの生きる力を育てていくためのプロジェクト「レインボーチルドレンプロジェクト」では、リーダー的な活躍をされていたと伺っています。

近藤5年生か6年生の時にプロジェクトが立ち上がって、最初に水族館だったかな?みんなで出かけた時の最年長が私で。まとめてねと任されて、もともと自分から友達を作ったり人に話しかけるのは苦手でしたが、「あ、今日は自主的に動ける」と気づいた感じた時に、ちょっと自分変わったかも?と思いました。

レインボーチルドレンプロジェクトの活動を教えてください。

近藤ミュージカルをしたり、踊ったり…始まりは、車庫みたいなところに子供たちが集まって、何をしていったらいいだろうと話し合う会議でした。その場でお祭りやミュージカルをやりたいと話が出て、アイデアを聞くたびにワクワクしちゃって。じゃあそれを具体化するためにはどうしようかと話が進んでいって…その日会議に行くまでは、どうなるのか全然想像できなかったんですけど、大人のサポートがありつつも、本当に年齢関係なくみんな対等に相談しながら作っていったので、友達の枠を超えた仲間でした。

言葉が通じないフランスで知った、心を開き合える踊りの力

レインボーチルドレンプロジェクトの一環でフランスへの海外派遣も経験されたそうですね。

近藤今もすごく覚えていますが、中学二年生のある日、急にゆたかにぃから電話がかかってきて「フランス行かない?」って。凄くないですか?何を言ってるんだって感じですよね(笑)。
※ゆたかにぃ:にいがた総おどり総合ディレクター岩上寛

唐突ですね(笑)。

近藤私たちのミッションは、新潟市とフランス・ナント市の文化交流の一環として、一週間の滞在期間の最終日に現地の若者とコラボで曲とダンスを作って発表するというものでした。でも、どういう風にコラボしていいかわからないし、言葉もうまく伝わらない感じだったので、本当に出来上がるのかなと不安で。
でも日本語もフランス語もできるフランス人・ジェレルが音頭をとってくれて、ほぼボディランゲージでしかやり取りはできない中で、すごく不思議だったんですが「こんな感じをしたい」という雰囲気が伝わるようになっていったんです。そしたら没頭して曲を作っちゃって、時間がないのに意外とポンポンポンとできていきました。本当に楽しくて、ずっと動いて、気づいたら夜中だったこともありました。

では、無事完成したんですね。

近藤はい。最終日にタイル張りの教会があるような広場で、樽を叩いたり、下駄を履いて踊ったりしていたら、すごくフランスの方が集まってくださって、会場も満杯になっちゃって。ギリギリで出来上がった作品だけど、フランスの人たちが見ながらすごく楽しんでくれていたり、待機の時とかもすごくフレンドリーに話しかけてくれたりしたんです。「その下駄いいね、いくらなの?」とか(笑)。向こうの人たちはすごく心がオープンなんだなと感じた時に、やっぱり相手が心を開いていてくれると自分も自然と開くし、笑っちゃうんですよ。踊っている私達も見ているフランスの人達もすっごい笑顔の空間で、最後終わった時も「フゥ〜〜〜~♪」って盛り上がって、よかった!楽しかった!と感じられる時間でした。

踊りで培った“自分”だからこそ、美容の世界に進むことができた

レインボープロジェクトの経験が、今の近藤さんに影響を与えていると感じる部分はありますか?

近藤ダンサーを考えた時期もありましたが、今は美容師とエステティシャンとして働いています。そもそもレインボーチルドレンプロジェクトやダンスをしてなかったら、人見知りだった私が美容という人と関わる仕事を選ぶ選択肢を取ることはなかったなと気づいたことがありました。その時に「あ、自分の経験の中で大きい割合を占めていて、自分を作ってくれた時間だったんだな」と感じました。私にとって「青春」と言うと、踊っていた時間がすごく大きいですね。
美容師として作品作りをしていたときも、多分レインボーチルドレンのみんなで「とりあえずアイデアを出してやってみよう!」と挑戦した経験があったからこそ、初めてやることでも物怖じせず楽しんでできているんだと思います。

知らない人同士が笑いあい、一緒に高揚するフィナーレが大好きです

近藤さんの総おどりエピソードを教えてください。

近藤どれを話そうか困るくらいたくさんありますが(笑)、毎年自分の中で印象が大きいのはフィナーレの総おどりなんです。振りも関係ないくらい、みんなでわーってなって踊るあの時間が一番好きです。初めて会う人、話したことない人、いろんな人と目が合ったり笑いあったりとかしながら、声を出して。振りも含めてみんなで会場のパワーを上に上げる、その時に本当に何かがわーって上がってる気がして、その時に気持ちが一緒に高揚するというか、それが毎年すごく印象に残っています。

にいがた総おどり祭当日は、チームに入っていなくても踊れるプログラムもあります。今でも参加されることはありますか?

近藤総おどりは毎年9月の土日と祝日の三連休で、美容師という仕事上なかなか難しいのですが…頑張って有給をねじ込んで(笑)見に行ったり、以前勤めていた美容院が万代会場の近くだったので、仕事が終わった瞬間に自転車でビュンってフィナーレに向かったりしていました。
1、2年前に、レンジャーで踊っていた時の同級生と待ち合わせ仕事終わりに急いで行ったことがありました。着いたらちょうど受賞演舞のあたりで、ただ見ていただけなのに涙が止まらなくなったんです。心が洗われるような感覚になって、よさこいとかダンスから離れていたけど、凄くパワーのあるものなんだなとその時改めて感じました。

踊っている時だけじゃなくて、見ていても感じるものが大きかったんですね。

近藤さらに、見ていた場所のちょっと離れたところに、ゆたかにぃが煽っていたんですよ。その背中を見たときにまた涙が出て。何年経っても変わらずに、みんなで目の前の人にいろんな気持ちを伝えようとしている空気感に、すっごい純粋なものが心に染みたんです。やっぱり仕事をしていたり、日々淡々と過ごしているとどうしても忘れちゃうものってたくさんあるなと、その時改めて気づいて、またお仕事が落ち着いたら私も踊ろうと思いました。

近藤さんにとって踊りの力とは?

近藤踊りの力とは、本当にその人の地位も、バックにある生活も心配事も、全部一回ゼロにしてくれる気がします。だから多分、私がずっと踊ってない中でも総踊りのフィナーレを見た時にすごくグーって心に感じて、自然と涙が出てきたのかなって。自分の中にいろんな感情があっても、そういう感情を全部すり抜けて、ダイレクトに純粋な気持ちを伝えてくれる、熱いものがジョワー!ってくる。本当に感情でダイレクトに伝わるので、本当に人と人のつながりを、全てをまず1回フラットにして、ここ(心)を開けてくれると言うか。そんなものなんじゃないのかなって思いました。

自分のお店を持ったら、9月の3連休は店休日にします(笑)

将来目指している姿を教えてください。

近藤自分の人生を絶対にこうすると決めるつもりはありませんが、私はずっと母が家で店をやっている姿を見て育っていたので、私もいつか自分でお店をしてみたいという夢はあって。その時には美容師とかエステとか、色々経験したものも武器にしながらやってみたいですね。やっぱり何故自分でしたいのかと考えた時に、「自分が関わる人との時間を大切にした空間を作りたいからやってみたい」が一番大きいかもしれないです。

お店を始めたとしたら、9月の三連休はどうしますか(笑)?

近藤9月の3連休は全部休みます(笑)。私がオーナーで自由なので。お店を持ったら美容師をする日もあってもいいと思うし、エステをする日、アイリストの友達がまつげをする日、ヨガのセミナーをする日があってもいいと思うし、日曜日だけカフェにしてもいいと思うし…みんながワクワクできるようなそんな空間を作りたいです。わがままなんです、多分。楽しそうじゃないですか?

PROFILE

近藤 希美 Nozomi Kondou

1995年12月生まれ。小学生時代に友人の演舞を見たことがきっかけで、10歳の時にチーム21◯(五泉市)に、さらに11歳からはsuga jazzdance studio(新潟市)にも所属。12歳から参加した「Rainbow children project」では、新潟姉妹都市文化交流事業の一環で総おどりフランス遠征チームの一員として渡仏。ダンスを高校生まで続ける。
2013年にヘアサロンSNIPSグループに就職したのち、2019年からは株式会社トプカピで美容師兼エステティシャンとして勤務中。美容師として2019年abcコンテスト優勝、アサヒコンテストメンズ部門優勝をはじめ、数々のコンテスト受賞歴を誇る。

 

EPISODE MOVIE

EDITOR'S NOTE取材後記 ライター:丸山智子

何度も出てきたキーワード「人見知り」ですが、そんな頃があったとは思えないほど、楽しそうに喋り、周りを明るくする力を持っている近藤さん。彼女の接客を受けたい!と思うお客様の気持ちがわかりました。
踊ることで変わったと話されていましたが、踊るお子さんに付き添われている保護者の方にお話を伺うと、「性格が積極的になった」と話される方は多いです。住んでいる地域や年齢差を超えた出会い、しかも一緒に一つのものを作り上げていく経験は、ただ習い事としてスキルを習得するだけではなく、人間形成や人生の歩みにおいてすごく豊かな糧となっているんだなと、改めて思い、羨ましいなとも思いました。