EPISODESOH 20th Anniversary

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EPISODESOH 20th Anniversary

EPISODE.6

文明が変わる今、
最先端は原点回帰の先にある

津軽三味線小山流三代目
小山豊

にいがた総おどりで祭では、踊り子たちの心も体を沸き立たせ、さらに国民的アイドルとの共演や、世界中での演奏活動など、幅広い活躍を展開している津軽三味線小山流三代目小山豊さんは、現在39歳(2020年10月現在)。生まれた時から家とともに、津軽三味線とともに人生を歩んできたからこそたどり着いた若手後継者の「変える覚悟」「固める覚悟」が、「伝統」の未来への道を照らします。

津軽三味線の常識を変えた「小山流」の継承者

小山さんは、津軽三味線・小山流の家元の三代目として、ソロの演奏はもちろん、津軽三味線の合奏や和楽器や西洋の楽器とのセッション、CMやゲームのレコーディング、さらにはももいろクローバーZや嵐などアイドルとの共演など、多彩な活躍をされています。まず小山流について教えてください。

小山小山流は、私の祖父・貢が創流した津軽三味線の流派で、僕で三代目になります。その初代が、従来唄の伴奏として独奏する楽器だった津軽三味線に、大勢で合奏する独自のスタイルを考案しました。演奏を見て・聞いて覚えるものだった津軽三味線の曲を、譜面に起こしたのも小山流の特徴です。

津軽三味線についても教えてください。

小山民謡の伴奏として演奏するのが基本で、特徴はたくさんありますが、とにかくリズミカルであることですね。右手のバチで激しく打って、左手は弦楽器の要素なので打弦楽器の分類になりますが、これは世界的に見ても稀なものです。

民謡というと、今の日本人の生活において馴染みが薄いようにも感じますが…。

小山民謡は生活の中から生まれた仕事の労働歌であり作業歌なんです。だからその土地ごとに異なるリズムや過酷さを唄うものであり、その時々の現状に合わせて唄もリズムも変えていけるものだと僕は信じています。本来「これが正しい、こうあるべき」はなくて、時代と共に変化し続けていくことが民謡にとって鍵だと思っています。そうしないとあと10年、20年後になくなってしまうんじゃないかという物凄い危機感も持っています。

文明が変わる今こそ、原点回帰するべき時。そこに“先”がある。

2020年8月に、新譜「obi」を出されました。他の楽器との関わり方や曲に“伝統”のイメージを超えた新しさを感じましたが、コンセプトや制作背景を教えてください。

小山2013年に出したアルバムで出して以来、インプットの時間に入ったんです。それから結構要素は溜まりつつ、ずっと自分の表現に霧というかモヤがかかっていて、どうしていいかわからない状態が実は続いていたんです。それが2019年にきっかけがあって、霧がすごく晴れてやるべきことが結構クリアに見えてきました。

霧が晴れて、どういった答えが見えましたか?

小山原点回帰じゃないですが、民謡が持っている力強さや勇ましさ、いやらしさとかあざとさとか、そういったものをちゃんと直視してそれをそのまま生かした上で、洋楽のすごい方にこっち側に寄ってきてもらおうと。実験的な部分もかなりあるんですが、わがままなオファーして演奏家同士の「共鳴」と、そうやって繋がることで世の中が救われる「浄化」というテーマで、レコーディングを行いました。

津軽三味線というと激しいバチ捌きが特徴的ですが、「obi」は確かに実験的というか、間の “詰めない”感覚が新鮮に感じました。

小山例えば、「よーおっ、パンッ」という一丁締めを、外国の方はできません。「間」と呼ばれるテンポ感は、実は日本人独特のもので、それは暮らしの中で季節の移り変わりや風の音、虫の音などを殺さないサウンドがすごく重要な要素としてあります。日本の雅楽とか、圧倒的にスペイシーで物凄いじゃないですか。あの間合いとか、そこにやっぱり美しさがあると思ったので、今回のアルバムは「間」を特に意識していますね。
でも「間」はめちゃくちゃ怖いので、今まではなるべく「間」が生まれないように弾き倒してきたんです。今回はそこに聞く人の想像力が入っていけるようなスペースを作るために、相当弾くのを我慢しました。「時雨」という曲は特に顕著ですが、三味線弾きのアルバムで、こんなにピアノソロが長いアルバムなんて他にないんじゃないかな(笑)。

また、新譜に関してメディアで「原点の先に最先端がある発見」と語られていた言葉も非常に印象的でした。

小山先ほどの「霧が晴れたきっかけ」でもありますが、去年、海に突き出したガラスの能舞台がある小田原の施設「江之浦測候所」で演奏させていただきました。その時に施設を設計した、写真家で芸術家の杉本博司さんが書いた文章を読んだんです。
「臨界点をむかえた今、文明において、我々人類はもう一回原点に立ち返ってみるべきだ」「それは、土をいじったり太陽と自分の位置を測光することだ」「そういった時に原点の先に次の一歩がある」と書かれていて、今、自分自身もコロナで文明が変わる時期だと思っていて、「これだ!」と思って、結果、霧が晴れ、新しいものを作ることができていったんです。

新潟の瞽女がいなかったら、津軽三味線はなかったかもしれない

小山さんは、ニューヨークのカーネギーホールでの演奏や、ラテンアメリカ最大規模の音楽祭「セルバンティーノ国際芸術祭(メキシコ)」を始め、海外での演奏経験も豊富です。海外から日本の伝統芸術はどのような目で見られていると感じますか?

小山西洋風にチューニングした“ソース味”はいらない、“本物”を見せてくださいと問われている気がするし、それができないと文化は残っていかないなと思います。
「こうした方が外国人わかりやすいんじゃないの」と、自分たちでゴテゴテやりすぎるのはよくない。でも、もちろん直球だけでも伝わらないので、「ここが聞いてほしいところ」と、コンサートの一番いいところで民謡をやるようにしていますね。

本物、というところでは津軽三味線が今の形になるまでに、新潟も大きな関わりがあるんですよね。

小山青森は日本文化が北上していった最後の地であり、いろんな民謡が辿り着いた地で生まれたのが津軽三味線です。民謡は全国で伝わっていく中で地域ごとに変わっていったものですが、新潟は北前船で文化を伝播させる拠点となり、さらに瞽女さんの唄で口伝で伝わっていったわけですよね。だから新潟は民謡において重要な地であって、新潟の瞽女さんがいなければ、もしかしたら津軽三味線はなかったかもしれない、とっても重要な場所なんです。

そして新潟と文化と小山さんというと、にいがた総おどり祭では演舞への楽曲提供や出演、そしてアート・ミックス・ジャパン(AMJ)にはほぼ毎年ご出演いただいています。AMJのメキシコ公演にもご出演いただきました。

小山総おどりは、音の参加を長年関わらせていただいて、2018年に初めて生演奏する機会をいただきました。やっぱり踊りが持っているエネルギーはものすごいものがあり、総おどりや踊りの、そしてお祭りの文化というのは、後世に継続して残していかないといけない部分だと思います。
そしてAMJの文化的なフェスがあるのは、町としてものすごく強いと思うんです。ものすごく羨ましいことですね。ここですごく文化が育っていっていて、そうあるべきだと思うし、続けていって欲しいなと思います。

様々なステージや音楽イベントを経験されていますが、「AMJならでは」を感じる部分はありますか?

小山伝統芸能は本当は一緒に手を繋いでやっていくことが大事だと思いますが、ものすごい縦割り社会でそれができない環境が実はあります。AMJはそういった壁を外し、しかも都市型で、市民みんなで文化を作り出していこうというオープンな姿勢、そしてお互いすごくリスペクトする姿勢がすごく感じられて、本来あるべき我々が目指すべき姿がここにあると感じています。

三代目として流派を作り直し、地固めをする人生、という覚悟

小山さんは生まれながらに、小山流の三代目という“継ぐ宿命”を背負ってきたわけですが、どのように向き合ってこられたんですか?

小山父である二代目ではなく、祖父である初代貢が、生まれた時から「継げ」と呪文のように言っていました(笑)。避けた時期もありましたが、19歳でコンクールに出て同世代の演奏を目の当たりにしてからは、真剣に取り組むようになり、今は三代目小山貢を継ぎたいと思っています。
でも民謡が好きだったかというと、数年前までは「こんなことが三味線でもできるんだ」という喜びが大きくて、他のジャンルや楽器とのセッションに傾倒していたんです。それが徐々に「民謡の唄付け」という伴奏が究極のセッションであり、一番かっこいいということに気づいてきてきました。

三代目として今思い描く、小山流の今後のビジョンを教えてください。

小山僕が三代目貢になる時には、やっぱり流派をもう一回きちんと作り直さないといけない世代だと思っています。初代は津軽三味線は珍しいもので、それを全国に広めた。そして二代目の父が守った。じゃあ次はといった時に、流派はたくさんあって、大きな違いもあまりないからこそ、流儀を僕がちゃんと作って四代目がやりやすいようにしていこうと思っています。一生地固めをする代になる気がしています。

民謡に対する向き合い方はいかがですか?

小山民謡は「こうあるべき」という型や楽しみ方に頑ななところがあります。野球始める子も、最初は硬球ではなくゴムのボールから始めて、軟球、そして硬球になっていきますよね。今は、そういうところを民謡でやりたいと思っていて、入り口としてふにゃふにゃの民謡を(笑)用意するのはいいのかなと思っています。

文化をつなぐために、守りも、変革も、地固めも、全てが大切

小山さんにとって津軽三味線や家を保存・継承することは、何をすること、もしくは何をしないことを意味しますか?

小山難しいですね…。やっぱり守っていくというのは改革をしないと守れないと思っているので、とにかく時代を見ながらそこに合わせつつ、一番大事にしなくてはいけない民謡の「節(メロディ)」の部分はちゃんと守っていきたいですね。民謡は唄ありきです。そういう型を守った上で、型破りの発想も出てくるわけです。
同時に、淘汰されるべきものは淘汰されていいと思っているので、時代と共に歩んでいくことを自覚しない限り取り残されてしまうし、歌ってもらえないと残らないので、変える勇気も持たないといけませんね。

守り、改め、固める。全て異なるようで、一つの筋になっているんですね。

小山自分のルーツは民謡であり、血に感謝する部分でもあります。何万人も先人たちがいて、今自分がいるわけじゃないですか。僕は子供が二人いるので下にも文化の継承者たちがいる、次に繋げたことはすごく良かったのかなと思いますし、そんな“つなぎ役”だとも思いますね。

PROFILE

小山豊 Yutaka Oyama

津軽三味線小山流三代目
幼少より津軽三味線小山流宗家(祖父)小山貢翁に師事。日本最大流派の1つである小山流の三代目として、国内・海外で演奏活動を行っている。
2001、2002年(財)日本民謡協会津軽三味線コンクールで優秀賞を連続受賞。
2011年には自身が結成した津軽三味線ユニット、OYAMA x NITTA で、ニューヨーク・カーネギーホール主催コンサートを成功させ、NY TIMES から称賛を受ける。2013年にはラテンアメリカ最大規模の音楽祭であるセルバンティーノ国際芸術祭(メキシコ)に招聘され、自身のユニットを結成し参加、大きな成功をおさめた。
古典以外でも、嵐やももいろクローバーZといった人気グループとの共演、狂言師野村萬斎氏構成演出の【マクベス】への参加、ゲーム、CM 等レコーディングやテレビ出演、サウンドプロデュース、指導などその活動の幅は広く多方面のジャンルにおいて活躍中。津軽三味線や民謡の魅力を伝えるため、伝統の継承とともに、枠にとらわれない柔軟な新たな解釈で既存には無いサウンドを生み出し続けている。

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EPISODE MOVIE

EDITOR'S NOTE取材後記 ライター:丸山智子

初めて「民謡ってすごくかっこいい!」と思ったのが、アート・ミックス・ジャパンで拝見した小山さんの演奏でした。小山さんのこきりこ節は、思わず手を鳴らしたくなるほど楽しさが響きます。
「伝統」というと、守る、もしくは変えるの2つのベクトルのバランスで考えるかと思っていましたが、小山さんの「固める」という在り方は、驚きであり、伝承者だからこそ思いを巡らせ、行き着くステージなのだと感じました。人を追う、作品を追う、パフォーマンスを追う、さらには流派の変容を追うこともまた、伝統文化に親しむ一つの目線かもしれません。
今回のインタビュー映像、いつもとは違う、小山さんならではの構成とともにぜひお楽しみください。