EPISODESOH 20th Anniversary

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EPISODESOH 20th Anniversary

EPISODE.10

体の表現の可能性を追う、
踊りは根源的な芸術

Noism0 メンバー/Noism1 リハーサル監督
山田勇気

2004年4月りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館に設立された日本初の公共劇場専属舞踊団・Noism。国内・世界各地からオーディションで選ばれた舞踊家が新潟に移住して年間を通して活動するという、全国でも類を見ない取り組みの中で、舞踊家として、振付家として、さらにリハーサル監督として、多面的な活躍を見せる山田勇気さん。ダンスという、言語を介さない根源的な表現だからこそ生み出すことができる感動を追求し続けています。

日本初の公共劇場専属舞踊団Noismは、17年目の今、過渡期にある。

山田さんは、りゅーとぴあを活動拠点とする、日本初の公共劇場専属舞踊団・Noism Company Niigata に所属しています。

山田出身が北海道・札幌で、本格的にダンスを始めたのは函館の大学の時。そこから卒業後に東京で3年くらい修行をしていた頃、2004年に上演されたNoism2作品目の「black ice」のパンフレットを見て、同年代くらいのダンサーたちがすごくカッコよく見えたんです。そこから立ち上げ2年目のNoismのオーディションを受けて2005年からプロのダンサーとしてのキャリアがスタートしました。

入団された頃は、まだNoismも創世記と言っていい時代だったかと思います。どのような様子だったのでしょうか?

山田当時から芸術監督の金森穣は舞踊界では有名で、日本中から野心的ですごい欲望を抱えたダンサーたちが集まってきていました。みんな獣みたいで、新しいエネルギーが渦巻いていたんです。
僕自身はNoism1のダンサーとして3年半在籍したのちに、Noismを1回離れましたが、東京でフリーランスとして踊っている時も、Noism2(研修生カンパニー)の振付家として関わることがありました。その後Noism2の稽古監督兼振付家としてオファーを頂いて2013年に戻り、今はNoism1のリハーサル監督とNoism0のダンサーを務めています。

Noismは現在17年目を迎えています。文化芸術を継続的に発信していく団体の内側で感じることを教えてください。

山田年数を重ねると、伝えていかなければならないことがあるじゃないですか。そういう過渡期ではあると思っています。だから今まで芸術監督の金森がリードして皆がついてきていた形から、その中で出来上がってきた要素を各々が理解して、自動的に回っていくようになっていかなければいけません。そういう橋渡し役になるべきなんだろうと思いながら取り組んでいます。

根源的な芸術・ダンスで、感性をダイレクトに揺さぶりたい。

長年ダンスに携わられる中で、山田さんが実感しているダンスの力や、持っている哲学みたいなものはありますか?

山田難しいですよね。すごく根源的なものだと思うんです、ダンスって。なぜなら自分の体を使うということが根源的だし、言葉はいらない。なので、いろんな国籍とかの枠組みを超えた、言葉で説明できないようなものを含めて、人間として感じ合えるような「根源的な芸術」だと思っています。

普遍的な部分に加え、現代だから、日本だから、Noismだから実現できる形というものが期待されます。

山田僕らは毎朝Noismバレエをやっていますが、これは西洋で生まれた技術です。そこに、すり足とか空間意識といった日本的・東洋的なものを合わせるというか、その中の良いものやエッセンスを自分たちの体に血肉化していって表現にすることで、ここでしか生まれない体の可能性・身体表現を作っていけたらいいですよね。

Noismが得意とする“コンテンポラリーダンス”を直訳すると「現代的な舞踊」になりますが、その中に伝統や守るべきものは存在すると感じていますか?

山田今というものがどういう風にできているかを考えると、必ず過去があるわけです。いくら現代的な表現とはいえ、やっぱり過去にあった伝統なり型なりいろんなものを勉強して、体に入れて、その中で今表現すべきものを模索してやっているんです。だから「現代的」というものは昔から続いてきたものをどのように今の人に伝えるか、というアプローチだと思います。

そうすると、伝統的な部分の知識などもあると、より理解が深まってダンスを鑑賞することが楽しめそうですね。

山田それはあると思います。ただバランスですが、誰が見ても感動できるような“何か”を作りたいです。例えばバレエの物語が分からなくても、ダンサーの足の上がり方とか、いで立ちが、「わー!すごかったな」「綺麗だったな!」ということだったり、そこにある体・人が持つエネルギーとか惹きつけるものが混ざって、作品の中でどのような表現になっていくかとか…難しく考えずに、何度か見ていただく中にきっと届くものがあると信じています。簡単には分からないものかもしれませんが、見た一瞬だけで終わらない深みや重みがあるようなものを作っていければいいと思っています。

作り、壊れ、育む。文化の醸成は時間がかかる。

Noismでは目的に「より豊かで成熟した劇場文化」を新潟に根付かせることを掲げていますね。

山田まず簡単なことではないし、世代を超えて残していかなければ意味がないことだと思います。
「劇場文化」はヨーロッパでは歴史があって、普通にあるものですが、日本はハード面が整っていてもまだまだ定着していません。根付くということは文化を作るともいいますが、作っている段階ではやっぱ壊れるんですよね。なので、作って育てて、本当に時間かけて生活の中に入っていかないと、本当の意味で文化とは言えないし、だからそういうことを考えながらやらないといけない、長丁場のものです。

山田さんにとって新潟は踊る環境として、どのような場所だと捉えていますか?

山田素晴らしいと思います。価値観にもよると思いますが、落ち着いて仕事ができるし、ものを作って自分の体に向き合って…時間をかけて何かをやっていくのには本当にいい環境、こうあればいいなという場所です。今の時代、都市と地方の価値が見直されている中においてすごく先駆的に意味があることをやっているのだと感じています。

Noismと総おどりは、インスピレーションを与え合う、並走関係でありたい。

新潟のダンスカンパニーとして様々な形で地域との関わりをNoismは持っています。その中の一つとして、にいがた総おどりとも歴史がありますね。

山田総おどりはちょうど入団したばかりの2005年に出演して、万代十字路をとにかく走った記憶があります(笑)。この時がNoismとしても初めて総おどりとタイアップした機会でした。出演がない時も当日、個人的に万代十字路に見に行っています。他にもアート・ミックス・ジャパンの総おどり公演にもNoismは参加しています。
総おどりとNoismは、並走していったらいいんじゃないかと思っているんです。完全にクロスするのでも壁を作るのでもなく、お互いを見ながら並走していて、それが続いているような、お互いを何となく参考にしながら、たまにちょっと手を繋いだりしながら…。

その“並走”がポジティブな影響として感じられたことはありますか?

山田例えば、新潟樽砧の存在は総おどりがなかったら僕は知りませんでした。そこから一緒に公演(「Noism2×永島流新潟樽砧伝承会 赤降る校庭 さらにもう一度 火の花 散れ」/2015年)をできたのは、新潟でしかできなかったことだし、できたことで樽砧、さらに下駄踊りにも興味が広がっていったりしています。

2015年のNoism2と樽砧のコラボ公演は、まさに新潟の文化の融合です。これまでにない挑戦だったかと思いますが、いかがでしたか?

山田本当に楽しかったです。まずメンバーの樽砧への姿勢や情熱に感動しました。
関わる中で興味を持った「みだれ」という叩き方があって、創流者である永島鼓山先生は出演されないので、以前このEPISODEに登場した(岡澤)花菜子がみだれを叩くことになったんです。花菜子がみだれを伝承して、さらに今自分なりにブラッシュアップしていることが素晴らしいし、そうなる一つのポイントになれたかなと思っています。外部との企画がなかったら、多分みだれに挑戦して、先生不在の中で発表することもなかったかもしれない。しかもそれをやったことで先生が嫉妬したと言うんです。すごくいいエピソードで、「やったね!」って思って。それってきっと必要なことなんです。

ステージの上だけでは終わらない相乗効果が生まれたんですね。

山田花菜子が今、永島流を継ぐ立場にいることがすごく嬉しいですね。それが一番の成果かもしれないです、僕の中では。彼女たちとは当時コラボした若いダンサーたちは今も交流もあるし、すごく良い関係ができていると思っています。またやりたいですね。前回よりももっといろんなことができると思うし、一緒に踊ったメンバーもまたやりたいって言うんですよ。

年齢に寄り添い、「体」が持っている可能性を追求し続ける。

総おどりは今年20周年を迎えます。山田さんにとっての20年はどんな時間でしたか。

山田20年前は19~20歳くらいで、丁度僕がダンス始めた頃です。当時はまさか自分がダンスで生きているとは思ってなかったから、あそこでもしダンスを始めなかったら今の自分はいませんね。
10年前を振り返っても、ちょうど東京でフリーで踊っていた時で、明らかに違う方向に行っていました、髭とか髪とか(笑)。今なら「もっと(いけるところまで振り切って)やっとけ」ってその頃の自分に声をかけます。

山田さんが目指す表現や、今後やっていきたいことを教えてください。

山田体はみんな持っていて、普段隠しているじゃないですか。そういうものが持っている表現の可能性をその都度、例えば若い子たちができることもあれば、40歳近くの僕だからできることもあるだろうし。社会状況も変わっていくでしょう。どんな時もやっぱり体を持って生きていかなきゃいけないし、その根源にあるものを忘れちゃいけないと思います。だからそういったことを常に思い返し、感じられるような作品を作っていけたらいいんじゃないかと思いますね、舞踊なので。

10年後の自分に向けたメッセージを伺いたいです。

山田舞踊は体を使うから歳をとっていって、どんどん動けなくなっていくじゃないですか。でも歳を取れば取るほど表現は違う意味で広がって深まっていくと思うから、そこには期待しています。だからこそ、将来の自分に言いたいのは「体を研ぎ澄ましておけ」(笑)。

後にも先にも稽古が大事というわけですね(笑)。好きな言葉や座右の銘はありますか?

山田愛とかかなと一瞬思ったんだけど…愛は大切だと思います。ただ、愛という言葉もなかなか難しいなと、常に考えちゃう自分がいたりもします。ある映画監督が言っていた「映画に救われた人が映画を救うんだ」という言葉があって、それは大切にしています。自分の場合、舞踊に救われた気がするので、舞踊に救われた人が舞踊を救うんだという気持ちでやっています。

PROFILE

山田勇気 Yuki Yamada

Noism0メンバー /Noism1 リハーサル監督
舞踊家、振付家。北海道生まれ。北海道教育大学函館校にて清水フミヒトに出会いダンスをはじめる。 2005年Noism に入団。金森穣、稲尾芳文&K.H.稲尾、大植真太郎、中村恩恵、安藤洋子の作品を踊る。退団後、武道家日野晃に学ぶ。13年よりNoism2リハーサル監督に就任。プロを目指す若手舞踊家を率い、作品を発表している。近年は新潟市内の小中学生や舞踊未経験者にむけたワークショップ等のアウトリーチ活動も積極的に行っている。20年9月よりNoism1リハーサル監督に就任。

Noism公式サイト

EPISODE MOVIE

EDITOR'S NOTE取材後記 ライター:丸山智子

ものすごく研ぎ澄まされている世界を見せてくれるNoismを、設立時より牽引してきた金森さんがいて、“次の世代”のダンサー、そして作り手として活躍する山田さん。
質問に時に時間をかけて言葉を選ぶ姿や、インタビュー映像にある「自分を舞踊家と言えるようになったのは最近です」というコメントに、ストイックさや繊細な思考が伝わってきて、さらに穏やかな中にも激しい一面が垣間見られるなど、芸術を作り上げ続けてきた人の息遣いを感じました。
インタビュー中に出てきたNoism2と樽砧のコラボの話は、岡澤さんの回でも話されていたことで。一つの作品を共作した以上の、お互いに大きな意味を持つ経験になったことが伝わってきて、これから新潟を舞台に活躍するアーティストたちがどんな文化の新しい景色を描いていってくださるのか、本当に楽しみです。