EPISODESOH 20th Anniversary

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EPISODESOH 20th Anniversary

EPISODE.3

新潟の家元だからこそ、
守れたものがある

日本舞踊市山流七代目家元 市山七十郎

地方唯一の日本舞踊の市山流は、日本三大花街にも数えられる新潟・古町で、江戸時代から粋なおもてなしを提供してきた古町芸妓に日本舞踊や所作の稽古をつけてきました。
新潟の踊り文化を200年以上支える流派を受け継ぎ、下駄総おどりの振り付けにも携わるなど、長年「踊り」という目線で新潟を見続けてきた家元・市山七十郎先生に、芸を極める思いや、受け継ぐ覚悟、踊りと新潟との関わりを伺いました。

新潟・古町花街の芸妓文化を守り続けて200年

「地方唯一の日本舞踊の家元」と言われている市山流について教えてください。

市山私が七代目で、四代目から新潟に来ています。それまではずっと江戸の歌舞伎の方の役者で振付師として活躍していたので、「歌舞伎舞踊」と呼ばれる役になりきったお芝居風の踊りが多いところが特徴です。
四代目が江戸時代の約200年前、北前船で賑わう湊町・新潟にきて、新潟に来る人たちをもてなすためにしっかりした芸を古町芸妓に指導して欲しいと請われて、そこからずっと今私の七代目まで古町の花柳界との関わりが続いています。
普段は日本舞踊の家元として、古町芸妓をはじめとした弟子たちに日本舞踊のお稽古をつけています。日本舞踊は踊り単体だけのものではない総合芸術なので、公演の際には総合プロデューサー的な役割というか、舞台装置や照明などの演出面も担います。また歌舞伎の役者さんたちにお稽古をつけに、東京へも定期的に足を運んでいます。

同じ「踊る」でも異なる日本舞踊と西洋の舞踊との違いを、教えていただけませんか?

市山いろいろとありますが、一番の違いは「衣装」ですね。洋舞は自分の体で表現するから、なるべく体にフィットして、いらないものは削ぎ落としています。日本舞踊は逆で、着物や時にはすごい衣装を着て「線を隠す」んです。
そして「音楽」。洋舞は楽器による演奏がありますが、日本舞踊は三味線音楽と、さらに唄があるところ。歌詞に動きがリンクしているところも大きな特徴ですね。

古町芸妓についても教えていただけますか?

市山昔から、京都の祇園、東京の新橋、そして新潟の古町が日本三大花街といわれています。新潟の花柳界のおもてなしは、200年以上新潟の観光の目玉であり、それを守っていくということは、市山流に課せられていることの一つだと思っています。
古町芸妓の魅力は、気取ってないといわれる親しみやすさにありますね。昔から身内みたいな感覚で、お客様のことを「兄様」「姉様」と呼んでいますよ。

新潟で続けたからこそ、初代の振り付けを守れたのかもしれない。

市山流、古町芸妓、そして古町の花柳界は共に新潟で成熟したおもてなしの文化を作り上げてきたんですね。ずっと新潟を拠点にしていたことで、何か良かったことはありましたか?

市山もし東京に行っていたら、「この振り付けはもう東京化してしまうかな」というものはあったかもしれませんね。新潟にいたから残った、という部分はあると思います。例えば「越後獅子」や「浅妻船」などは初代が振りつけているもので、それがまだ今も残っているわけです。それが東京など他の地域に行っていたら、どこまで当時の形で残っていたかなという部分はあるかもしれません。
ただ、新潟にいるだけが良いというわけではないので、時々東京で会を開催したりもしています。

市山先生はお生まれになったご実家が家元だったということで、「継がねばならない」環境だったかと思います。日本舞踊市山流を継承することに、葛藤はありましたか?

市山一人っ子なので受け入れられたというか、兄弟がいたら違ったかもしれませんね。でも、やっぱり抵抗みたいなものを感じることもありましたよ。決められているのが嫌だなと、いろいろ考えたけど踊ることしかできないなってなっちゃって(笑)。ただ、祖母が亡くなったことで、やっぱり継いでいかないといけない、とそこで気持ちははっきり決まりました。

六代目七十郎であったお母様が亡くなられてからは、市山先生の師匠にあたる人が不在になったかと思います。そこからは自分で自分を厳しく律して、鍛えていくことは大変なことだと思います。

市山それはそうですよね。だって、誰も私に言えないでしょ(笑)?見て言ってくれる人がいないですから、自分で考えてやるようにしています。ただ、「ああ、いてくれたらいいのに」と一番思ったのは、後ろに狐のお面をつけて踊る「うしろ面」※という作品ですね。あれ、自分の感覚で振り向いている、まだ向く角度が足りないかとかわからない部分があるので、それだけは亡くなられて初めて踊るときに困りました。
あとは指導しながらでも、高められます。稽古している子たちにもいいところもあるわけで、「この子ここがいいな、ちょっと盗めるかな」とか、そういうことがあるので、教えるということは自分の勉強なんです。
※「うしろ面」…後頭部に狐の面をつけて、1人で二役をこなす変化舞踊。江戸時代から演じられているが、踊りこなすことが難しく、受け継いでいるのは市山流のみ。七代目七十郎先生は、この作品で1994年に文化庁芸術祭賞を受賞

先代を意識したり、「追いついた」と実感することはありますか?

市山近づくまではいけるけど、絶対に先代には追いつけません。それは役者さんたちも「絶対自分の父親のところまではいけない」と言っています。だからせめて近付きたい、というところで止まっている。まして亡くなってしまうと特にそう思います。

大名跡を継ぐために必要だった、13年という時間。

2018年に市山七十世から、七十郎の名前を受け継がれました。先代はすでに亡くなられていたので、名前を継ぐタイミングはご自身で決められたかと思います。

市山母が存命の時は母が七十郎で、私が七十世でした。亡くなってから13年経って、ようやく七十郎を継いだんです。母は祖母が亡くなった時点で七十郎を継いでいて、私も早く継げとずっと言われていましたが、とってもまだ七十郎にはなれないと、ずっと言っていました。

固辞されていたんですね。

市山踊りもそのレベルまでいっていないし、まだ皆さんの中に七十郎という名前は、うちの母しか浮かばない。それが自分の中では気になるものがあって。私はずっと七十世でいたいと思っていたくらいですよ(笑)。十三回忌を迎えられたというのは襲名の大きなきっかけになりました。

名前が変わるというのは、やはり大きな意味を持つものですか?

市山名前というのは不思議なもので、まだまだだなと思っていても、継ぐと人間性が伴ってくることもあります。だから今、柳都にいた若い子の中にも名前取らせた子がいますが、やはり名前を取ってから自覚を持つし、踊りも変わってくるということはありますね。
あとは、私は自分の七十郎を作ればいいんだって思うようになりました。いつまでも先代に縛られているわけにもいかないですし。

「やり切った」は一度もない。芸事は終わりがないところが面白い。

「やり切った」とか思う瞬間や、満足感を感じる瞬間はありますか?

市山ないです。それはもう死ぬ時じゃないんですか?死ぬ時も思わないかもしれないけど。

そうすると終わりがないことは嫌ではないですか?

市山嫌ではないですね。そこが面白みでもあるし。果てしないものです。むしろ「頂上にきたぞ!」と思ったら、あとは降りるだけですからね。

本当に果てしないですね…!長年新潟の文化・古町芸妓を見続けてこられて、時代による変化はどのように感じていらっしゃいますか?

市山「新潟の古町の芸妓さんはどこへ出ても恥ずかしくない」というのが代々昔から言われてきているので、それが私の代で「なんだこんなものか」って言われたら、しゃくに触るじゃない(笑)。だからちょっとうるさくは言うんだけど。でも、子供の頃から花柳界に出ていたお姉さん達と違って、今の柳都※の場合は、高校を卒業してから踊りの「お」の字も知らない、着物を着たこともない子が入ってくるわけで、その子たちをなんとか仕上げていきます。プロはプロなので、「あなたたちはお金をもらっているプロなんだよ。いつまでも『私は一年生ですできません』なんて言っていられないんだよ」とはいつも言っています。
※「柳都」…柳都振興株式会社。古町芸妓は同社に所属しており、古町の芸と粋ともてなしの心伝え継ぐことを掲げている。

市山流の振り付けで、歳を重ねても楽しめる祭りに。

そして市山先生には、にいがた総おどりにも多大なるご協力をいただいています。下駄総おどりは様々な方から振り付けをしていただき、市山先生にも「市山流男形」「市山流女形」の2種類の振りを付けていただきました。振り付けを制作するにあたり、意識されたことを教えてください。

市山まず、やっぱり私は日本舞踊の専門だから、やるなら日本舞踊的な形でやらないと何にもならないなと思いました。そして、ずっとそれまでのにいがた総おどりを見ていて、あれだけ動くのであればこれは若い人しか絶対やれないなと思っていたんです。だけど、きっとお年寄りもでも踊りたいよねと思って、そういった部分も意識して振り付けをさせていただきました。

総おどりも参加人数が増え、新潟で「踊ること」を嗜む人が増えていると感じますか?

市山どんどん参加される方は増えてきましたよね。日本人として、盆踊りは日本全国どこにでもあるじゃないですか。もう日本人のDNAがそういう踊りへの情熱みたいなものを持っているわけで。総おどりを子供たちがやるというのも、そういったDNAがうずいているようなところはあると思うので、その踊りへのエネルギーは、すごくあると思いますね。

今後のにいがた総おどりに期待されることがあったら、お聞かせください。

市山今まで、こんなに大勢で踊るということがなかったじゃないですか。新潟は各地に盆踊りなどはあっても、みんなが踊るのは民謡流ししかなかった土地でしょ?だから総おどりを始めて、いろんな踊りの団体が出てきて開催し続けていくことは活気があることだし、すごくいいことだと思いました。
これからはね、昔の盆踊りの絵にあるじゃないですか。全員お揃いの衣装じゃなくて、自分たちが好きな格好をして踊る、ああいう風な形のものを今度やってみて欲しいと思います。

EPISODE MOVIE

EDITOR'S NOTE取材後記 ライター:丸山智子

地方唯一の日本舞踊の家元、七代目宗家、200年続く文化を継承…舞台を拝見したことはあっても、直接お話をさせていただくことは初めてで、最初とても緊張していました。しかし、インタビュー前後にはその日お召しになっていた着物とマスクが同じ反物で作られているお話や普段のお買い物の話、お肌のお手入れのお話(舞台の濃いお化粧をすることがあっても先生のお肌本当に綺麗!)など、ざっくばらんになんでもお答えくださり、文化人としての側面とはまた異なる先生の魅力に引きつけられました。
ただ、「芸を追求する上で終わりがないことは嫌ではありませんか?」という質問に、即「嫌ではないですね」と答えられたとき、人生を賭けて一つの芸を極めると心に決めた人の揺るぎない覚悟を感じ、それがまたとても印象的でした。