新潟県・佐渡島を拠点に、1981年から活動を展開している太鼓芸能集団 鼓童。世界中を旅しながら演奏活動を行い、これまでに訪れた国と地域は52カ所、公演回数にして6500回を超え、毎年8月に開催する独自のフェス「アース・セレブレーション」は、国内外からのファンが佐渡に詰めかける夏の一大イベントになっています。
EPISODE 12では2回にわたり、鼓童にフォーカスします。インタビュー会場は、山の中に太鼓の音が響き渡る佐渡市小木半島の練習・生活拠点「鼓童村」。インタビュー映像の練習風景とともに、代表・船橋裕一郎さんによる、鼓童の音とその広がりの世界を、お楽しみください。
シンプルな音のアンサンブルが、二つとない音楽を作り出す
鼓童=佐渡というイメージがありますが、メンバーは船橋さんをはじめ県外出身の方が多いそうですね。
船橋そうですね。私は神奈川出身で大学で京都、そこから佐渡に来ましたが、太平洋側と日本海側では違いますね…特に鼓童の面接の日が吹雪で、夜は寒いし嵐になるし…冬なのに雷が鳴るなんて初めての経験で、面接でくじけそうになりました(笑)。
佐渡の洗礼を受けてくじけそうになりながらも(笑)、進んだ鼓童の道。鼓童らしさはどんなところにあると考えていらっしゃいますか?
船橋太鼓そのものもそうですが、鼓童の表現はシンプルだなと思っています。太鼓の音にすごく重点置いて、もちろんお客さんに楽しんでもらうことは大前提ですが、華美に見せることよりも音をしっかり楽しんでもらえるように、出た音にすごく素直に表現します。入団して最初に過ごす研修所では携帯電話もテレビもなしで、禁酒禁煙です。すごくシンプルな生活に立ち返る過ごし方であり、そういうところに土台があることで、非常にシンプルにお届けするところが特徴かなと思います。
和太鼓は、和楽器の中でもお祭りなどで比較的身近な存在ですが、ドレミといった音階があるわけでもなく、シンプルだからこそ表現が難しい楽器なのではないかとも思います。
船橋太鼓は長い歴史のある木をくり抜いて、動物の皮貼ってできている楽器で、そこから出てくる音は実際すごく多様で多彩で、一つとして同じ音色にはなりません。叩く人によってもです。性別とか年代によって、同じ太鼓を叩いても全然違う音が出たりするところはすごく魅力だなと思いますし、その違った音色の太鼓が皆でアンサンブルになって合わさった時に、また違う響きになって、それが一体となった時にすごく気持ちいいし、その楽しさは太鼓ならではかと思います。
自然と芸能に溢れた島・佐渡だからこそ生まれる音楽
鼓童は、佐渡をホームグラウンドとして活動していて、そこから新潟へ、国内各地へ、そして世界中へと演奏の旅に出ています。効率を考えれば、本州を拠点にした方が、何かと便利だと思いますが…。
船橋拠点が佐渡という土地で、こういう環境で太鼓を叩けるこということは、すごく大事なことじゃないかなと思います。やっぱり…お、テンがいる(笑)。
※取材場所は山の中にある鼓童村の屋外で、インタビュー中にテンが横切っていきました。
え!?ちなみに、船橋さんの後ろに猫もいます(笑)。
確かにこんなに自然豊かな環境に振り切った場所というのは、得難いし、活動にもポジティブな影響がありそうですね。
船橋目が覚めれば鳥の声が聞こえて、水の音が聞こえて、ちょっと行けば本当にきれいな夕日が見えて、美しい海岸があって、緑豊かな所があって…。その中で音を出すことができるのは、佐渡ならではかな。特に佐渡は芸能や歴史もあって、昨日もお祭りがあってすぐ見に行きましたが、太鼓の音が聞こえて鬼が舞うところが身近に見られる環境は、そうそう無いんじゃないかなと思います。
確かに自然環境以外にも、文化・芸能という面でも佐渡はユニークな場所です。
船橋たくさんの種類の芸能を身近に感じている中で、自分たちが創作を続けていけるということはとても良い環境だなと思います。もちろん、船で渡らないといけないし不便なこともあるんですけれども、そういった本州とかとの距離がまた、自分たち独自の表現を生んでいるのではないでしょうか。年月経つほどに、この佐渡でものを作ることができて、とてもありがたいなと思っています。
佐渡という環境は、演奏や作品制作のインスピレーションになることもありますか?
船橋それはもう、自分たちの出す音は佐渡ならではだなと思います。僕たちはアンサンブルなので、あの暗闇の中のイメージで音を作ってみようとか、あの星の輝きだね、虫の音だね、海の音だね、といった時にすぐに想像が湧くじゃないですか。みんなここで生活しているので、共通認識となってすぐ「その音だね」と。そう言ったものがここにはたくさんあるので、それはやっぱり都会の中で作られるものとは、全く違うものが生まれてくるかなと思います。
世界を和太鼓でつないで40年。響きの先に、何かが生まれる
鼓童といえば、世界中での演奏活動も特色の一つです。
船橋たくさん色んなところに行って、いろんな方と出会って、いろんな風土を感じて、各地のおいしいものを食べるとか、“外”を知った上でまた自分たちの拠点に帰ってくると、自分たちの中にあるものがすごく多様で多彩になってきます。やっぱりその土地ならではの文化・芸能など直に触れることは、自分たちの創作にもとても大きな影響あるし、何より楽しいですよね(笑)。
にいがた総おどりは今年20周年を迎えますが、鼓童は倍の40周年です。デビューがベルリン芸術祭、前身である鬼太鼓座のデビューはボストンマラソンを完走した直後の演奏と、半世紀の間、常に「世界」と「鼓童」はつながってきました。
船橋これだけ世界中に日本の太鼓が広がっていったことは、僕たちの先輩が世界中に行って、太鼓の音を届けたことも一つ大きな理由でもあると思います。鼓童が行くと、すごく喜んでくれる場所がたくさん今もあるので、そういった広がりはすごく感じますね。
太鼓のリズムも同じで、点で音を出して合わせるんですけど、その先に響きがあって、その響きを合わせることを自分達は大切な感覚として持っているんです。だからただ叩いているというよりも、その後に何か残って、そこで何かが生まれていくと、自分たちのそれは喜びにもなります。
例えば自分達も太鼓をやってみたいとか、太鼓の広がりが世界中に広がっていったり、さらにそこからまた新しいものが生まれ、「そんなたたき方するんだ」「こういうリズムがあるんだ」とか逆に僕達も学ぶこともあるので、それはすごく面白いなあと思います。
大きな世代交代目前。次世代へいかに繋ぐかが楽しみ
2016年から船橋さんは代表を務められています。今の立場だからこそ感じる、文化を継承していく心のあり方を教えてください。
船橋みんなの意見を少しでも集めて、それをこう自分の中に取り込んで、そこから出てくる言葉が代表としての言葉なのかなと考えています。トップで引っ張るというよりは、下から支えられたらなと。なので、私のグループという感覚はありません 。
自分が入った時にすでに鼓童というグループがあって、その世界観も出来上がっていたので、そこに入れて頂いて、先輩からたくさんの太鼓の技術や太鼓に対する思いなどを教えていただきました。だから、そういったものを次の世代のメンバーに上手に渡していきたいですね。
代表というともっとぐいぐい引っ張っていくイメージがありましたが、つないでいく、橋渡しの感覚に近いですね。
船橋一方で、今の感覚でより柔軟にいろんなものを取り込んで、新しいものを作る挑戦をすごく大事にしたいので、どんどんチャレンジしていこうと次の世代のメンバーに言っています。先輩たちもいろんなもの勉強して新しいもの作る繰り返しをしながら、年月が重なってきたと思うので。伝統的な太鼓を使っているので伝統芸能だと思われるところもありますが、伝統的なものを学びながら、自分達はそこに尊敬と敬意を忘れずに、そこから新しいものを生み出すグループだと思っているので、その精神は次の世代も繋がっていくといいかなと思っています。
40周年を迎え、そしてこれからをどのように描いていらっしゃいますか?
船橋創設40年で、前身の佐渡の国 鬼太鼓座を入れると50年。第1世代が70歳でまだ現役で本当にすごいなと思いますが、でもだんだんやっぱり一緒に舞台に立つ機会とかは年々減っていきます。
そうするとやはり初期のメンバーの生の言葉や生の音を聞く機会がすごく減っていくので、これからは本当にやってきたことをどう言葉に残し、若いメンバーにどう伝えていくかが、自分たちの課題かなと思っています。これから進化が問われてくる時期ではないでしょうか。
次にどうやって渡すかはすごく大切なことで。ここまで残ってきたグループなので、それは自分達だけではなく、いろんな方に支えてもらっているので、そういう方たちのためにもやっぱり鼓童はしっかり残していきたいし、それはでも結構楽しみでもあります。それが今僕達に与えられた役割なんじゃないかな。
にいがた総おどりも今年、20周年を迎えることができました。私たちも新潟の文化を作り続ける一員として、これからの世代にバトンをつないでいきたいと思います。
船橋20年前に初めて祭りが出来上がってきた時のエネルギーや、それが今こうやって続いてきていることは、すごくいいなと思っていました。作っていく過程はすごく楽しいしエネルギーも必要で、そこを次の世代につなげていくことはすごく大変な作業なのかなと思いますが、ここからですよね。でも「今年のお祭りがめちゃめちゃ面白い!」とかそれがすごく大事で、現役の人達がそうやって楽しめるようなお祭りになっていくと、より次の世代にも受け継がれていくんじゃないかなと思って、楽しみにしています。一緒にね、ぜひ鼓童も仲間に加われたらなと思っています。
PROFILE
船橋裕一郎 Yuichiro Funabashi
1974年生まれ、神奈川県中郡二宮町出身。
考古学を専攻していた学生時代に太鼓に出会う。1998年に研修所入所。2001年よりメンバーとして舞台に参加、太鼓、鳴り物、唄などを担当する。これまでに「アース・セレブレーション」城山コンサートや、2018–2019年「道」、2019年鼓童浅草特別公演「粋」、2020年「鼓」、2021年「童」公演の演出のほか、「BURNING」などの作曲も手掛ける。交流学校公演、海外での共演など様々な分野を牽引。また落語やプロレス観戦など様々な趣味を持ち、柔らかな口調と人情味溢れる人柄でメンバーの頼れる相談役である。2012年より副代表、2016年1月より代表に就任し、グループを率いている。
EPISODE MOVIE
EDITOR'S NOTE取材後記 ライター:丸山智子
ストイックに厳しい稽古を積み重ねる鼓童のイメージに、取材前は緊張していましたが、船橋さんは本当に物腰が柔らかく、とっても穏やかな空気の中お話を伺わせていただきました。特に印象的だったのが、鼓童と佐渡との関係性。星や風もインスピレーションの源であり共通言語となる感性が、唯一無二の鼓童らしさを形作っている事実に圧倒されました。
映像にもある通り練習場にもお邪魔させていただきましたが、演者の方々は、ステージではほんの一瞬でしかないわずかな首の傾げ方、タイミングにも試行錯誤の連続!取材クルー一同見惚れて時が経つのを忘れてしまうほどでした。鼓童の皆さんが「最高の答え」として導き出した集大成である“ステージ”を見たくてたまりません。