太鼓芸能集団 鼓童連続インタビュー第二弾は、公益財団法人 鼓童文化財団専務理事の菅野敦司さんです。創成期から約40年にわたり鼓童を育み、見続けてきた菅野さん。俯瞰的な文化への見識と、実際に実地で積み重ねてきた経験とがかけ合わさった言葉の一つひとつに、たくさんの共感や気づきが詰まっています。
40年続く芸能集団の舞台裏から、文化芸術の持続可能性に迫ります。
固有の文化がある土地に、人は暮らしを求める
菅野さんは、鼓童創成期の頃からのメンバーなんですよね。
菅野前身に1971年に結成された「佐渡の國 鬼太鼓座」というグループがあります。佐渡の芸能の継承者を育て、若者の流出を止めることを目指して立ち上げられ、その後様々な変遷があって、1981年に「鼓童」になりました。ちょうど鼓童が創立したばかりの時に、初代の代表者・河内敏夫が佐渡に鼓童村という自分たちの拠点を構えて、地方から文化の発信をしていくということを書いたパンフレットを公演会場で見て、自分はそれにすごく惹かれて82年に入りました。
菅野さんご自身は、楽器の演奏キャリアがあったり、佐渡にゆかりがあったわけではなかったんですか?
菅野私は東京の生まれ育ちで、当時大学を卒業してから海外の大学院に留学して、開発経済学という発展途上国の開発援助に関わる勉強をしていました。その時に、海外の国の援助をするにあたって日本の文化を知らなければ、よその国の経済発展のお手伝いもできないという思いがまずあって。特に、私が勉強していた時にインドネシアの中でジャカルタに人口が集中しているという課題がありました。当時のインドネシア政府は強制的に別の地域に移住させたりもしたんですが、またみんな戻ってきてしまうんですよ。そんな中、地域に人が残るという事例があったんです。
どうしてその人たちは、ジャカルタではない地域に残ったのでしょうか?
菅野紐解くと、固有の文化的な伝統を持っている地域では、そこで育った人が残る傾向があるんですね。
やっぱり人の動きというのは必ずしも経済的な理由だけではなくて、最終的には文化の力が大きいんだなと思いました。そして、日本に帰ってきた時に経済発展したけれども、ものすごくいびつな成長の仕方をしている様に見えたんです。
土着文化の有無が、定住の動機につながるんですね(驚)。具体的にはどのような点が気になりましたか?
菅野もともと日本には、新潟のように日本海側に人口が多くて豊かな穀倉地帯があって、その地域がたくさんの人口を支えてきた歴史があります。伝統的な文化は大陸から日本海を渡って伝来してきたので、日本海側がある部分フロントラインとして文化を受け止めてきて、そこで芸能や職人の技というものが育まれてきた。そこから高度経済成長期に太平洋側に人口が移動していったわけですね。
そうするとすごく経済的な発展はあったけれども、伝統文化の継承者がいなくなるなど光と影の部分が生まれました。それを感じた時に佐渡という島から文化を通じて、地域を持続可能な形にしていく。地方から都会に対してメッセージを送っていくという活動は、すごく自分にとってはポジティブな未来志向の活動だなと思って入ったんです。
芸を磨き、地域の暮らしとつながり、持続可能な太鼓芸能集団に
「持続可能」という言葉は、EPISODE全体でも大きなテーマです。鼓童は文化財団を作るなど、継続していく仕組みを採用されていますね。
菅野持続可能な形にしていくために、会社を作り、その後公益財団法人を設立しました。任意団体として始まった鼓童は、株式会社が運営母体となり公演を行なっていますが、公益的な地域の文化活動をどう続けていくか、いかに担っていくか、そして人材を養成していくかを考えた結果です。
私たちの活動の中では「継続していく」ということは、すごく大事なことです。
継続のための取り組みの一つ目が、村があれば祭りがあると、鼓童村ができた時に開村記念コンサートとして、1988年の8月にアース・セレブレーションが始まりました。
それから公演活動。それはワン・アース(一つの地球)をテーマに、世界を回るということ。さらに研修所をはじめ人を育てていくという、以上三本柱を立てました。
これらを継続的に続けていくことで、地域にちゃんと定着し、繋がっていくことができるのかなと思います。時間かけてやっていくことで達成できることがあると思うので、持続していくことはすごく大切に感じています 。
鼓童の活動は、ただ「太鼓芸能集団が佐渡にある」という形式的なものに括れない、佐渡の人や地域、文化との関わりの深さも感じます。
菅野そこは自然と生まれてきたものだと思います。佐渡に暮らしながら活動をして、子供ができて、子供が学校に通うようになると「鼓童の菅野さん」から「○○ちゃんのお父さん」となっていくわけです。そうすると鼓童は地域から切り離された存在というところから同じ目線の存在になる。そういう意味で、家族と地域の関わりはすごく大きいと思います。
佐渡の方々は、お仕事をされている中でお祭りの芸能をやる。ある意味人生賭けるくらいの芸能に対しての想いを持ってやられているので、芸能表現をする人間からすると、本物に感じるわけです。すごく影響を受けますし、昔から文化芸能が盛んなので皆さん目が肥えている。やっぱり自分たちの芸が本物でなければいけないという思いも強くなりますし、そうやって佐渡の方々に育てていただいいてきた思いがありますね。
常に新しい創造を目指し、刺激を取り入れることで40年続いてきた
今年40周年を迎える鼓童。継続することを大切にしながらも、継続にはマンネリやモチベーションの低下がつきものです。長く続けてこられた理由はどこにあると思いますか?
菅野鼓童は、伝統的なものを学びながら、太鼓という楽器に無限の可能性を見出して、常に新しい創造活動をしていくグループという言い方をしています。そういう意味で新しいところに向かって行く時に、自分達だけでできない時には外部の方々に関わっていただきます。作曲を依頼したり、近年だと坂東玉三郎さんを芸術監督にお招きして、今まであった形を変えて崩してもらって、またそこから再構築していくような。やっぱり常に外からの刺激を求めていく姿勢というのは、大事なのかなと思っています。
アース・セレブレーションという独自イベントを一つの芸能団体が開くことも、当時では珍しかったのではないかと思います。
菅野鼓童村ができて、私たちは「村」は「人が群れる」が語源だと解釈していて、閉ざされた村じゃなくて、開かれた村、人が群れる場所を作りたいという想いがありました。
さらに世界を旅する中で出会ったアーティストたちを佐渡の方々に紹介したい、そして外の人たちに私たちが拠点を構えている佐渡という島を紹介したいという思いから、今に続いているんです。
外国の方がたくさん来るので、島の中で国際性が育まれたり、運営にあたり行政と一緒に取り組んでいくというつながりができました。
今、文化庁から長期にわたる芸術的なイベントとして国内では2例しか採択されていない補助金を受けています。ちなみにもう一件は、大地の芸術祭。どちらも新潟県なんです。離島で文化を通じた国際的な発信力を持っているイベントとして、国から評価いただく所までこられたのは、続けてきた力なのかなと思います。
総おどりには、新潟の人の自信となるような発展を期待しています
同じ新潟で文化芸術の分野で活動しているにいがた総おどりに対して、どのような印象を感じていらっしゃいますか?
菅野新潟には各地に芸能がありますが、新潟県全体がもともと藩がすごくいっぱいあったから、「新潟県」という大きな括りの県民性が見出しにくい。その中で「にいがた総おどり」という名のもとに、みんなが参加する場を作る意味はすごく大きいと思っています。「下駄総おどり」のように、新しい創作的なものを取り入れる余地もあるし、若い人にも魅力を感じてもらえるような祭りになっていると感じています。
にいがた総おどりへのエールをいただけますか。
菅野私は今、新潟県の魅力を考える知事の懇談会の委員をさせて頂いています。外に新潟のブランドを発信することを考えるためではなくて、この懇談会のテーマは、新潟県の人たちに新潟に対しての愛着をどうやって感じてもらえるか、そのためにはどんなことをしたほうがいいかというものです。
新潟の方々が自信を持つ上で、やっぱり文化や芸能というものの力はすごく大きいと思うんですね。新潟県の人たちが外に対して自信を持てるような祭りの一つに、にいがた総おどりというものが発展していくことを期待しています。
今後フォーラムみたいな定期的な意見交換をして、新潟全体を盛り上げていく発信を一緒に考えていけたらいいですよね。
能登総合プロデューサーぜひ!
文化芸術が社会的共通資本であることを、鼓童は伝えていきたい
コロナ禍となり、文化芸術への日本と世界との認識の違いが、炙り出されました。
菅野文化芸術は“社会的共通資本”と呼ばれる公共財です。日本において文化芸術というものは、生きるためには必要ない(不要不急)みたいなことになってしまったじゃないですか。そこの中で失われていくものはものすごく大きいものがあると思っています。それをやっぱり「鼓童が新潟県にあることは、社会的共通資本なんだよ」という理解に繋げていって…それは自分達だけのことではなく、芸術活動というもの自体が社会的共通資本なんだというところに訴えたり、働きかけていきたいなと思っています。
これから鼓童がどのように進んでいくか、展望をお聞かせください。
菅野鼓童というのは、これまで新潟県の佐渡に拠点を持ちながら、目線としては全国や世界というところを視野に置いて活動してきました。しかしコロナ禍において、活動の足を一旦止めていろいろなことを考える中で、この佐渡という島に自分達が拠点を構えている意味だったり、そのありがたさが、もう1度自分たちの中で確認できました。新潟での活動をよりしっかりとしたものにしていって、その土台があった上で外に対して発信していくということの大切さを再認識しました。
また土台だけではなく、佐渡であり新潟に対してもっと具体的に働きかけていく。文化活動が地域にあることがどれだけ意味のあるものかということを、佐渡の方・新潟の方に押し付けがましくではなく、一緒に考えていくことがすごく大事だなと思っています。だから発信だけではなく、地域に対する働きかけに力を入れてきたいですね。そのことを通じて、佐渡をはじめとして新潟県民の方に鼓童というグループが新潟にあってよかったと思っていただけるように、自分たちの活動がなっていければいいなと考えています。
※社会的共通資本:
ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を安定的に維持する。このことを可能にする社会的装置が「社会的共用資本」である。
経済学者の宇沢弘文氏が提唱した。
PROFILE
菅野敦司 Atsushi Sugano
公益財団法人鼓童文化財団 専務理事
アース・セレブレーション総合プロデューサー
1956年 東京都出身。
1982年より鼓童に参加。これまで、主に海外との制作業務を担当し、鼓童のマネージャーとして35ヶ国を訪ねる。1988年より佐渡で毎年開催されている、国際芸術祭「アース・セレブレーション」には、第1回より携わっており、世界各地の民族音楽・芸能の専門家や研究者を招き、佐渡の自然の中で新しい「地球文化」の可能性を探るとともに、各地の伝統文化の紹介を通じて国際交流を促進している。
また、そのネットワークを活かして地域資源を活用した体験型観光など、佐渡の新しい観光振興に貢献している。
一般社団法人佐渡観光交流機構監事、アメリカの非営利団体Kodo Arts Sphere America理事、にいがた観光カリスマ。
EPISODE MOVIE
EDITOR'S NOTE取材後記 ライター:丸山智子
質問をさせていただくと、必ず最初に「そうですね」と相槌を打ってから話してくださった菅野さん。一度受け止めてから、語る。その姿勢に人柄を感じました。アカデミックなお話からたくさん学ばせていただいた中でも、特に印象的だったキーワードが「社会的共通資本」です。
また、鼓童と大地の芸術祭のみが受けてる補助金のお話から、自覚していないだけで、想像以上に自分が暮らしている新潟は個性的で魅力的な文化にあふれた土地なのかもしれないと、見直す大きな気づきがありました。
冒頭の映像は鼓童村のそばにある「佐渡太鼓体験交流館(たたこう館)」です。こちらでは驚くほど大きい太鼓をたたくことができて、全身で鼓童の、そして太鼓の魅力を体感させていただきました。おすすめです(要予約)!